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Good Times,Bad Times

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

2016年が終わろうとしています。

個人的に、いろいろあった一年でした。

 

実は、

夏ごろからでしょうか、私の人生に継続して存在している、とある懸念事項がダイレクトにのしかかってきて、

率直に言うと、

大変つらかったり、非常に悲しんだりしておりました。

ガラでもないんですが(笑)

 

 

純粋な少女のように繊細に傷ついたり、

かと思えば、もう疲れたよパトラッシュと言いたくなったり、

もう配慮もガマンもしない、とばかりに怒りをあらわにしてみては、

そんな自分を責めたり。

必要最低限のこと以外はする活力も湧かず、ずっとお布団にもぐっていたいと思う日もありました。

十代のときに大好きだったあのバンドの曲が聴きたくなったり。(←弱っている兆候)

 

 

そんなこんなな秋をすごしてしまいましたが、

復活できたのは、二つの要素があります。

 

 

一つには、

いろんな「縁」を感じることができたこと。

いろんな方に支えられ、勇気づけられました。

 

しかもそれは、直接的な励ましにとどまらず、

人が、その人としてその人らしく存在している、生きている姿を見たり感じたりするだけで、元気をもらうことがいっぱいありました。

 

また、ネット上で、同じような立場の人が心情を吐露する場があり、それを読んでいるときに、

「自分だけじゃない」と思えたとき、すごく心が軽くなりました。

 

 

たとえば、

少し恥ずかしい話ですが、わたしは子どものときから父親と折り合いが悪く、

十代のときは苦しんだりしておりました。

でも、それって「よくある昭和のモラハラ親父」な話です!

ただ、思春期というものは、それが自分にとって重大な悩みなので、

「誰もわかってくれない」とか「自分だけが不幸」とか思いがち。

 

そうやって苦しんできたことを

「昭和ならどこにでもあるモラハラ親父の話ですわ、がはは」と言えた瞬間に大人への階段を一歩のぼる、

 

そういった経験は、誰でも多かれ少なかれしているのではないかと思います。

 

 

今回、それと同じように、苦しくてたまらないなかで、一筋の光のように、

「自分だけが苦しい」のではない、と心から思えた瞬間がありました。

 

相手に対する怒りなどで、つい、「自分だけが」と思ってしまいがちですが、

そうではなくて、

それは単に「相手に通じてないだけ」「向こうがこちらの悲しみをわかってくれないから絶望しているだけ」であって、

けっして「世界で自分だけが不幸」なんてことはない。

 

誰だって、

それぞれの苦しみを抱えながら、逃げずに日々を送っているのだ、

 

なんか言葉に書くと当たり前のことなのですけれど、

ほんとうに心の底から思えたのは初めてで、

そうなると、「お布団にこもってるヒマなんてないよな」と思えてきました。

 

また、

「つらいことを笑い飛ばせている自分」のつもりでしたが、

爐呂犬瓩ら笑い飛ばせる自分”ではなく、当初はうまく消化できず、しばらくたたないと笑い飛ばせない、という自分の弱さも見えてきました。

 

それから、

「自分だけじゃない」というのは、

自分にしかかけられない励ましです。

他人が言うことじゃない。

 

そうやって立ち直った今、

もう、この類の問題に関して言えば、この秋のような落ち込み方をすることはないだろうな、と思います。

なんかちょっと強くなった気がしています(笑)

 

とはいえ、

まだまだ弱さや未熟さも露呈してしまう私ですから、

これからもまた、じたばたとかっこわるくやっていくのでしょう。

 

 

二つ目の復活の源は、

収納を根本から見直したこと。

 

 

わたしの大好きな収納アドバイザーで安東英子さんという方がいらっしゃいます。

家族が幸せになるために、家族が大切な時間をすごすために、家を片付けよう!という信念のもと、温かくも厳しいアドバイスが大好きで、

ブログや出演されるTVはいつもチェックしています。

 

で、

この方が、

「かたづけには順番があり、押し入れや納戸から始めるのだ」と、

つねづねおっしゃっています。

 

今の家に引っ越してきて、気づくと5年以上…

しかも当時は身重の状態だったので、「仮」なままの部分も。

ちょこちょこ改善はしてきていましたが、

手つかずだった部分を根本的に見直すことで、

 

ものすごく頭と心がすっきりしました!

 

抽斗の中がきちんとしていると、

とても心がやすらぎました。

 

想像以上に、効果絶大でした。

心が疲れている方に、本当にオススメです!

 

 

 

 

 

一年の最後に、

なんだか自分の弱さをさらけだして、

それはひょっとしたら塾代表/社長としてはすべきではなかったのかもしれませんが、

 

そんな自分を支えてくださったすべての方々に、

心からお礼申し上げたかったのと、

わたしはもう大丈夫ですよ!元気にバリバリやりますよ宣言をしたかったのです。

 

来年も誠実に、懸命に、謙虚に生きてまいりたいと思います。

 

そして実は来年、

新しい企画を実行に移します!

漠然と思っていた時期から10年、いよいよ形にしていきます!

ワクワクしています。

 

今年もみなさまにたくさんお世話になりました。

本当にありがとうございます。

新しい年が、みなさまにとって、

笑顔の多い、素敵な一年でありますように。

 


 

 

 

 

 

 

 

posted by: L'essence | 雑感 | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |-
ごめんなさいとありがとう
JUGEMテーマ:日記・一般

お陰様で、中学生は満席となっており、
せっかくお問い合わせいただいてもお断りすることが続いています。
(以前の記事にも書きましたが、状況により、多少定員を超えて受け入れることはあります。
が、中学生はもう物理的に席もなくなりました)

お断りばかりしているので、いただいたお電話が、爐泙誓覆里△覲愬のお問い合わせ”だとホッとします。



「春の講座」のさなか、
またまたいただいた一件の入塾お問い合わせの電話を、南先生がお断りしておりました。
それを横で聞いていて、ふと思いました。

南は丁重に謝っておりました。
しかし、何かが足りないな、と思ったのです。

それは、

お問い合わせいただいてありがとうございます。
レサンスを、お子さんの塾の候補に挙げてくださってありがとうございます。


という感謝の気持ちを、きちんと
伝える言葉

もちろん、南が思っていないわけではありません。
全く言ってない、というわけでもありません。
しかし、横で聞いていると、それが伝わる言葉が少ないように感じました。


翻って私も
お断りの意を申し上げるときに、
ちゃんと感謝の気持ちが伝わるように、しっかり口に出しているだろうか?
言ったつもりになっていないだろうか
と、
反省させられました。


人は、「ごめんなさい」は比較的よく口にするけれど、「ありがとう」はなかなか言わないように思います。
日本人の傾向かもしれません。
「ありがとう」というべきところで「すみません」「ごめんなさい」と言ってしまうこともありがちです。
ますます気をつけていかなければいけない、と思いました。


さて。
今申し上げたように、レサンスでは、
ぞくぞくとお問い合わせをいただきながら、中学生はそのほとんどをお断りしており、
心苦しく思っています。
また、
「我々の方針に心から納得、ご賛同いただいてご入塾ください=賛同できなければ入らないでください」というのは、
席ガラガラ時代からの変わらないスタンスであり、

それらが重なると、
大変エラソーで上から目線な塾であるように見えるかもしれません。
しかもほとんどがご紹介ですし…。まるで敷居の高い高級会員制バーのよう。(←行ったことないのでイメージです)

ですが、
たとえ、爐舛腓辰板未蠅垢りに話聞いてみたらなんかちがったワ”というお問い合わせでも、
我々は、本当にありがたく思っています。

「レサンス」を覚えてくださった、
ちょっと興味をもってくださった、
お子さんの塾の候補に挙げてくださった、

それだけでも、爐官”ができた、ということでも、じゅうぶん嬉しいことです。

そして、
わざわざ問い合わせという手間をかけてくださった、

なんとありがたいこと!すごいことです。
(いわんや、入塾し、少なくないお金とお子さんの生活や学力の責任を預けてくださるなんて。頑張るしかないわけです)


ご紹介で入塾される方がほとんどで、
初めから「ぜひレサンスに」と熱望されてこられる方も多く、
お断りすることも多い今だからこそ、

しっかりと気を引き締め、

まだ我々のことをよく知らない、どんなお気軽なお問い合わせにも、
感謝の気持ちをしっかり伝わるような応対をスタッフ一同心がけていきたい、と思いました。


ほんとうに、
お問い合わせありがとうございます!!



 
posted by: L'essence | 雑感 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) |-
怒涛の更新その3〜そりゃないぜ、タイムズさん!〜
JUGEMテーマ:日記・一般


先日車に乗っていて、赤信号で停止した時のことです。
前の車がどうやらタイムズさん(時間貸し駐車場の会社で、私もいろんなところでお世話になっています)の、
営業車のようで、
キャンペーンっぽいステッカーが貼ってありました。
が、

その内容に、正直とてもびっくりしました。唖然としたといってもよいです。



             *



タイムズ24株式会社(パーク24グループ)は、
路上駐車問題の啓発運動の一環として、

「パークの日」というものを記念日登録しているそうです。
調べてみると、1998年以来。全然知りませんでした。

ところが、それが、いつかというと、
なんと、
よりによって、




パークだけに、、、、、





  パー          ク

8月9日。


しかも、ご丁寧に、


1年のうち、たった1日でもいいから路上駐車が引き起こす様々な社会問題について考えてほしい』

ですって。   (参考URL→http://www.times24.co.jp/company/csr.html


いやはや、平和ボケというか、無知というか……。
大きな会社だと思うのに、だれか止める人は、本当に一人もいなかったのでしょうか?



しかも、「考えてほしい」という上から目線。
それは裏を返せば、「私たちはしっかり考えることができています」というメッセージ。
いやいや、ちょっと待って!
8月9日って大事な日じゃないですか。しっかり考えられてませんよ。

考えられていないのに、
「1年のうち、たった1日でもいいから」というフレーズが、のほほんとしていて、これまた神経を逆撫でします。


広島のことも長崎のことも忘れてのほほんと生きているあなたこそ、
一年のうち、たった1日でもいいから、平和のことを考えてほしいですよ。



・・・・・このようなことを、長い赤信号の停止時間に、じっくり読んで、ふつふつと怒りが湧いてきたのでした。




でもね。
別に抗議しようとか、変えさせようとは思っているわけではありません。

あ、それから、こんなマイナーブログを読んでくださっているかたは当然お分かりだと思いますが、
8月6日や9日は、一切笑うな!誕生祝いなんてとんでもない、とか自粛しろ、とか言っているわけではありません。
どんな日だって、誰かにとって幸せな記念日でも、別の誰かにとっては悲しい日になるのは、
地球上にはこんなに長い間、こんなにもたくさんの人が暮らしてきたのだもの、当然です。


でも、
ほかのいろんなギャグな記念日(8月10日ハットの日/8月31日やさいの日とか)と同じように、
出来事にちなんだわけではない、いわばその日である必然性がなく、恣意的に選べる日付け。
だったら、
避けることもできたはずです。


前回の記事にもつながりますが、

無知であることで、そうとしらずに無神経なふるまいをしてしまったり、誰かを傷つけたりする、ということの
究極の例だなぁ、と思ったわけです。

だからこそ、人は学ばなければならないとレサンスは考えています。




そういえば、記念日については、以前こんな記事を書いていました。
奇しくも、その翌日に東日本大震災が起こり、内容が内容だけに、戦慄したものです。
数年前の記事ですので、お読みになっていない方はよろしかったらどうぞ。
→→  
http://lessence.jugem.jp/?eid=193







 


 
posted by: L'essence | 雑感 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) |-
言霊
レサンス10年目である2013年が終わろうとしています。
あと2か月で、いよいよ満10年です。

10年前の今頃は、開塾の準備をしていました。
まだ、自習室側のスペースは、借りていませんでした。
私は20代でした。
若かった。
いろいろな意味で。




企業(事業所)の10年後の生存率は、一割もないと言われています。
その数パーセントのなかに、入ることができたのは、
いろんな人に支えられたからにほかならず、
感謝の気持ちしかありません。


開塾してからも、
始めの数年は正直苦しかったです。
勿論、精神的には充実して幸せでしたけれど。


それを、じっと待っていてくれた家族。
何かにつけ応援してくれた友人、知人。
現場で一生懸命支えてくれた講師・スタッフ。
なにより、レサンスを信頼して、大切なお子さんを預けてくださった保護者の皆様、
通ってくれた子ども達。

苦しくても、信念をつらぬき、生徒さんのためによかれと思うことを全力ですることで、
支持されて、その輪もだんだんと広がり、
毎日がとても幸せです。
本当に、ありがたいことです。

これからも、気持ちを引き締めて、生徒さんにとっての最善を、
全力で尽くしていこうと思います。



さて。
言霊の話。

さきほど、初めの数年は正直苦しかったと書きました。
好転したきっかけは、いろいろあると思いますが、
わりと本気で(?)私が信じていることがあります。

それは、

年賀状の余白の一言に、
「貧乏暇ナシ」と、(ですわ、ハハハ・・・・というニュアンスで)書くのをやめたこと。


実際忙しく、余裕もなく、体力もなかったので、
毎日しんどく、気づいたら床で寝ているような毎日。
精神的にはとっても充実して幸せだけれど、
遊びに行く時間もないし、そもそもお金もない。

謙遜のニュアンスもありますし、
相変わらず、こんな一年でした~、というのを表すのに、
「貧乏暇ナシ」はぴったりの一言だったので、ついつい書いてしまっていました。


ふだんはそんな後ろ向きなことは全然言わないのですけれどね。



でも、ある年、気づいたのです。

これって、こう書いているからそうなってしまっているんじゃないの?

というわけで書くのをやめてから、
経営状態がよくなったのは事実。
(因果関係があるとはいいませんが)


今のわたしなら、たとえ同じ状況であったとしてもこの言葉は選びません。

今から思うと、
感謝と前向きな気持ちで日々満たされているのに、
普段は明るい言葉をいうように心がけているのに、
そして、生徒にもそう言っているのに、
なぜ、年頭の一番大切な言葉にだけよりによってそんなフレーズを選んでしまっていたのか、
不思議・・・・・・というか、当時の至らなさのあらわれですね。

まさに、悪い方の“自己成就予言”。

それからは本当に意識して、
ますますマイナスな言葉を排するように心がけました。

もちろん、冷静な現状把握は大切。

でも、
「今はコレコレ、だからダメ」ではなくて、
今はコレコレ。だからホニャララになっていこう!ホニャララにしていく!!ホニャララになる!!
そのためにアレしてコレしてソレして・・・・・、
というふうに。


そうすることで、どんどん状況はよくなっていったのはたしかです。
どんどんパワーアップしていくレサンス(と私)。

そんなレサンスの強運オーラ(?)は、かかわるすべての方に伝播していくはず。


あまり更新できていませんが、
このブログにも毎日たくさんの方がおいでくださっています。
ありがとうございます。


これを読んでくださっているすべての方にとって、
新年が、笑顔に満ちた、よい年でありますように。


平成26年もどうぞよろしくお願いいたします。



JUGEMテーマ:日記・一般


 
posted by: L'essence | 雑感 | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) |-
悩める母
おかげさまでもうすぐ一歳5ヶ月になる息子は、
大病をすることもなく、毎日ニコニコと楽しそうに過ごしています。
歩くのもだいぶ上手になってきました。

が、
親としては悩みが全くないわけではなく、
お医者さんとか保健師さんとか栄養士さんとか理学療法士さんとかそのあたりの(←特定をさけるためにいっぱいならべています)プロの方に、
定期的に相談をしています。

で、
かなり前の話なんですが、
その、
お医者さんだか保健師さんだか栄養士さんだか理学療法士さんだか保母さんだかに言われたことで、
とってももやもやしてしまったことがありました。
母である私についての発言です。

ここに書いて残すのもいやなので、なんと言われたかは書きませんが、
(書かないと話がはじまらないのかもしれませんが・・・・すみません)

一瞬、え???と思いました。
あまりにも漠然としているし、そんなそもそもの話をされてもどうしようもないし!
後から冷静になって考えてみると、けっこうひどいこと言われたかも。


で、大雑把過ぎてよくわからなかったので、
その真意を知りたくて、あるいは、自分がどう改善すべきか知りたくて「どういうところが?」的なところを尋ねてみると、


「ん・・・・・・・・・インプレッション?」 ですって。(なぜか語尾上がりの疑問形)



そして、私がどう直せばいいのか、今後どうしたらいいのかの指示はなし。
というか、それ、直せること?そんなこと言われたって意味ないんですけど・・・・。


たとえば私は、
「お母さん、大雑把すぎ!」と怒られても納得するし、逆に「気にしすぎ!」と言われても、
どちらにも納得できる自信があります。

なぜなら、性格はおおらか過ぎるというか、エエカゲンなところがある自覚はあるし、
だからこそ、
自分のこと以外では、そのケが出て手遅れにならないように!と一生懸命注意を払っているので、
行動としては、細かいことを気にしすぎているかもしれません。

つまり、性格とか行動とか、どちらかの、具体的な指摘ならよかったんですけど、

そんな、漠然とした感想(しかもどうしようもできないこと)だけ述べられても、
こっちはどうすればいいかわかりません。

(だから何を言われたか書けって話ですよね・・・・ごめんなさい)



私が保護者面談で注意を払っているのは、
“いかに具体的な話をするか”ということです。
今回(といってもずいぶん前の話ですけど)親の立場で、ものすごい大雑把な感想を言い放たれて、
ますますその思いを強くしました。


たとえばお母様がおっしゃる
「何度も言ってるんですけどね・・・・・聞いてくれないんです」という悩み。

その言い方や状況を具体的に伺って、
その言い方ならお子さんの耳に届いていないからこういう言い方をしましょう、とか、
お子さんは頭ではわかっているんですけど、まだ行動を間違えちゃうだけなんです、だからくどくど言わなくても大丈夫ですよ、とか。


ちなみに、私が10代の学生のころ、勝手に思っていたこと(インプレッション・笑)に、
“柄の悪いヤンキーってよく「ウチは躾に厳しい」って言う”というのがあります。

要するにそれって「躾」とか「厳しい」という言葉の定義の問題なわけです。

ヤンキーのいう「厳しい」の意味って、「怒鳴られる」とか「どつかれる」であることが多い。
で、
ハタから見れば、
いやいや、16歳で煙草すってて怒られないとか夜中じゅう外にいてて叱られないとかそんな言葉遣いで注意されないとかじゅうぶん甘いですけど?
となる。
あるいは、
「あーすぐカッとなって手が出る親なんやなぁ」とか。


なーんて、極端な例を出してしまいましたが、
レサンスの面談では、
保護者の方がどういう意味でその言葉を使っていらっしゃるか、よく伺って、
それに合わせて、
今後、どうすればいいか、どうしたらお子さんが幸せに伸びていくかを提示、
保護者の方に、前向きな気持ちで帰っていただく!
ということを心がけています。
(ときどき、厳しい内容をお伝えする場合もありますが、今後よくなるために、という思いは同じです)


そういう気持ちで日々保護者の方と向き合っているので、
そのお医者さんだか保健師さんだか栄養士さんだか保母さんだか理学療法士さんだか助産師さんだか歯医者さんだか、あと何があるっけさんだかそのあたりのプロが、
インプレッションとだけ言い放っておしまい!というのにあっけにとられた次第です。


乳幼児の発達と、小中学生の勉強や生活の悩み。
種類は違いますが、
悩みも色々だし、それに対する対処法もいろいろ。
プロの提示するアイデアも、正解は一つだけ、ということもないのでしょう。
親はその中のどれかを選び取る判断をしなければいけないわけで、
それはとても悩ましい問題です。

レサンスのやり方を選び、信じてくださる保護者の方には感謝の気持ちでいっぱいで、
だからこそ、
レサンスがお子さんのために最良だと信じるご提案を、
これからもさせていただきたいと思っています。




JUGEMテーマ:日記・一般
 
posted by: L'essence | 雑感 | 11:05 | comments(1) | trackbacks(0) |-
何かあった時

金曜日は降ったり止んだりのお天気。
ときに激しく降ったり、深夜には激しい雷と、「大気の状態が非常に不安定」な一日でした。


朝には降っていなかったためか、
街で、傘を持たず、ずぶぬれで下校する小学生を見かけました。

見かけたのは女の子だったのですが、
私がその子の親で、その時間家に居たのなら、
「もう〜迎えに行ってあげるから電話してくれればよかったのに!!」と言ったことでしょう。
そんな、傍からみれば気の毒な、あるいは大人だったら避けたいような、みっともないと思うような濡れ具合でした。


本人も、
学校を出るときは小雨→誰かに借りなくてもいいや!→雨脚強まる&意外と家遠い→ずぶぬれ→後悔
だったのかもしれませんし、
小学生ですから、案外平気で、ずぶぬれ状態を楽しんでいたのかもしれません。
子どもと大人の感覚って違いますからね。

なんてことを歩きながら考えていたら、ふと、自分の小学生時代のことを思い出しました。





当時、電車に乗って塾に通っていたのですが、
新年度のテキストを購入した日のこと。
紙袋いっぱいに無理やり押し込んだかのようにはちきれんばかりの新年度テキスト(全教科)と、
その日の授業のテキスト(2教科)で、尋常じゃない重さ。
またそのテキストがやたら冊数があるのです。
(ちなみにその塾、今は当時のカリキュラムより教材数が減ってます!)


どちらもかなりのボリュームのある紙袋と通常の鞄。
それら二つを抱えて歩く、駅から家までの遠いこと遠いこと。

紙袋を持つ手をときどき交代させても、持ち手が食い込んで痛い。
そして紙袋は横長で紐は短く、中身が分厚すぎて肩にかけることも不可能な持ちにくさ。
もちろん本来の鞄もそれなりの重さと幅で厄介。
そんな日にかぎって、自転車ではなく徒歩。

手を真っ赤にさせながら、やっとの思いで帰宅して、
「あ〜指ちぎれるかと思った〜、見て〜この重さ!!」と母に訴えると。

「そんなに大変だったら迎えに行ってあげたのに……。
何のためにテレホンカード持ってるの?」
と。

「えっと…。なんかあったときのために・・・・・・・」と私。


「だから、それが今日みたいなときじゃないの?」と母。



それを聞いて、
えっそうなの??????
と思った当時の私。

小学生の発想として、
「なんかあった時」とは、

・車にひかれた時
・財布とか鞄を落として帰れなくなった時
・誘拐された時


ぐらいしか想定できなかったものですから……。
(誘拐されたら隙を見て逃げ出し、助けを求めるのだ!)

そして、熱いガールスカウトだった私(そしてド庶民)、
「重い荷物に耐えてこそ本物!
 親に荷物を持ってもらうなんてヒヨワなおぼっちゃんおじょうちゃんのすることだぜ!!」
という思い込みもあり、
家に車がなかったこともあり、
“荷物が重いから親に迎えに来てもらって半分持ってもらう」という発想が全くなかったわけです。


「そーーかーーー、こういう場合って、“なんかあった時”の範疇に入るんだ……」としみじみ思ったことを覚えています。さっき思い出しました。


こんな風に、
大人と子どもの想定することにズレが生じるケースは多々あります。
「なんかあった時」の“なんか”なんて、ものすごく幅が広いですから。

逆に、
「あーもしもしお母さん?さんすうのノート忘れたからもってきてぇテヘ
なんて気軽に電話してくる場合だってあるわけです。
(気軽に言うな!こっちは忙しいねん!!って怒っていいですよ☆)

レサンスでは忘れ物は基本的に走って取りに帰らせますが、
遠方から送迎で通塾されている方には、
状況によっては、止むを得ずお母様に持ってきていただくことも・・・・・。
夕方の貴重な時間帯に本当に申し訳なく思っています。

本来なら本人に痛い目を見てほしいのに、涼しい顔で座っていて、
お母様が走り回るなんて理不尽な話ですが、
「じゃあコピーするわね♪」なんてぬるいことやってるといつまでも直らなかったりするので…。

「忘れ物をしたらヤバイ!」という意識が浸透してくると、
こちらが言う前に、
「あの〜忘れ物したので家に電話して持ってきてもらってもいいですか?」とか先回りするようになる場合もありますが、
言い方によっては、

「そんなこと簡単に言うな!!お母様だってお忙しいはずだしご都合があるはずじゃ!!」
と叱ることも。


こんな風に、忘れ物一つとっても、

走って取りに帰らせたり、
お母様に持ってきていただいたり、
お母様に申し訳ないから今日はコピーしますという日があったり、
授業時間が削られるのがもったいないから今日はコピーしますという日があったり、

その時どきのケースで、
その人にとって今必要な角度から注意するので、対応が異なる場合があります。

だから原則はないし、ルールを明文化しにくいのですけれど、
子どもってそんなふうにいろいろ失敗しながら、
物事の線引きを学んでいるように思います。


大人も、そういうプロセスを経てきているはずなので、
“なんかあった時”とか“ちゃんとしなさい”とか、“(洗濯時)ネットに入れるもの”などと、
漠然とした言葉を使って(それで通じると思って)しまいがちですが、
そのイメージをお子さんが共有しているとはかぎりませんよ、
というお話でした。




※「ダーリンは外国人」という漫画に、
 外国人の旦那さまが、奥さんの「ネットに入れるものはネットに入れて〜」という指示に混乱、
というエピソードがありました。言われてみるとたしかにオカシイ。




JUGEMテーマ:日記・一般
 
posted by: L'essence | 雑感 | 02:44 | comments(0) | trackbacks(0) |-
肯定と否定
JUGEMテーマ:日記・一般


 前回の記事で、
過去、あるいは今の自分を否定してバージョンアップさせていく楽しさ云々について書きましたが、
「否定」というのはあくまで自分に対してすることであって、


言うまでもなく、
生徒さん、つまり子どもたちには、そういうことは決してしません。






もちろん、
生徒さんというのは日々成長していく存在であり、
我々はその変化のサポートをする役割を担っています。
そして、「早急に直さないといけない部分」が生徒さんにあったとしても、



はじめにやるべきことは、
その生徒さんの存在を大いに肯定すること。





その上で、
ここを直そう、という話になったときにも、


あくまでその部分を直そうとするその生徒さんを温かく見守る、というスタンスで。





世の中には、親でも教師でも、よくいるんですよね、
「そういうオマエが嫌い」的な物言いになってしまう人って。
大人にそういうつもりはなくても、子どもがそういう風に受け止めてしまったら同じ。
「だからボクはダメなんだ・・・・」と、自己評価を下げてしまう。




人間として、周りから存在を肯定されることはとても大切なこと。

そういう信頼というホームベースがあってはじめて、
子どもたちは、じゃあ、ちょっと一歩踏み出してみようかな……、と思えます。



認めてもらっている、という思いがなければ、
子どもたちは、
認めてほしくて、自分を肯定してほしくてたまらないから、とても変わろうという気にはなれません。




その順番を間違えないことと、

どこかの欠点を指摘することと、存在の否定を混同しないようにすることが、
とても大切だと思います。



私は子どもの頃から、かなり長い間、自分を肯定することがなかなかできませんでした。

それはけっこうさびしいことです(ナルシストよりはマシかもしれませんが……)




だから、子どもたちに注意するときは、
あなたが大好きだから!愛してるから!
という部分をしっかり伝えていくようにしています。


それから、
否定をして、変わろう!と決意をすることは、

自分にしかできなくって、他人はそれを手伝えないことがらだということを、
いつも心に留めておくようにしています。
posted by: L'essence | 雑感 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) |-
歳をとる楽しみ      後編
生きていておもしろいコトとは、

自分の知らないことを知ることができたり、
今までの自分の考えが、あ、間違ってるじゃん!と気づくことができること。
その考えをポイッ!とし、新しい自分を手に入れる快感。

歳をとる=経験を重ねることの醍醐味は、なんといっても
自分の考えが少しずつ更新=変化していくことだと思います。



また、ささいなことですが、
あらゆるものとの付き合いも長くなってくるので、
たとえばミュージシャンでも
素敵な歳のとり方をしているなぁ、とかイイ感じに渋くなってきたなぁ、と思ったり、
逆に、アラコンナノニなっちゃったの?と思ったり。
若いころは顔とスタイルのよさだけを売りにしていればよかった女性タレントが、
うまい具合に別の要素をプラスして変身していった人、カラッポのまんまで突っ走ろうとしてあちゃーという感じになっちゃっている人などこもごもな様子に、
その「変化」を楽しむ、というのは若いころにはなかったことです。
もちろん、
ああこの人変わらんよなぁ!とか、相変わらずこの歌をこのスタイルで歌い続けてるんだ!という喜びもあります。

変わるにせよ、貫くにせよ、いろんな生き様を見られるのは興味深い。




そして、歳をとる楽しみとして、私が一番強く思うのは、
十代のときにはわからなかった“人のすごさ”がわかること。


私がバカばっかりやってた中高生だったせいもあるとは思いますが、
若いときはわかりやすいものにばかり目が行きがちで、
周りの人の、普通の暮らしをきちんと丁寧に積み重ねることとか、
できる人がサラリとやってのけることの、「サラリ」がいかにすごいことかがわからなかったり・・・。
できる人は声高に自己顕示したりしないのだ。
それに気づけなかった10代のワタシ・・・・・。

よく、
「一流の本当の価値は、一流の人間にしかわからない」などと言いますが、
一流までいかなくとも、
ある程度自分がレベルアップしないと気づけない価値って絶対にある。


若者の特権って、何でも上から目線で批判しまくることだと思うのですが、
自分にそれがなくなって、
逆に若者のそれを微笑ましく穏やかな気持ちでみることができるようになって・・・・。

(これが切り替えられずに、いつまでたっても傍観者目線しか持てないままでいると、自分のことは棚に上げた"悪口オバサン”になるのでしょう)


もちろん私は、人間としてはマダマダですが、
元がモトなだけに自分比では明らかな変化がみられるものですから、
おもしろいなぁ、と思います。


人のすごいところ、いいところをいっぱい見つけて素直に尊敬する、
そういう機会が多ければ多いほど幸せな気持ちになるのは自明のこと。
だから、人のすごいところ、いいところを見つけやすくなったのは、とっても嬉しいことです。


そして、
イタイ若者だった私を微笑ましく見守ってくださった周りの方々に感謝の気持ちは増すばかり。
あーもうホントに(←恥ずかしさでジタバタしている)みなさまありがとうございます。



そんな感じで、
自分の、ものごとに対する認識の変化を楽しんでおります。
まだまだ成長したいです。



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posted by: L'essence | 雑感 | 12:44 | comments(1) | trackbacks(0) |-
歳をとる楽しみ     前編

宣言をしてから随分と時間が経ってしまいましたが、

以前「齢をとる楽しみ」について書くと申し上げておりました。

 

このブログを読んでくださっている皆様誰もがそんなことすっかりお忘れだと思いますが、

本人としては、その日から今日までずっと、毎日、ああ、「齢をとる楽しみ」について書かなきゃ!と思っておりました。

 

遅くなったことについては言い訳のしようもありませんが、

毎日「齢をとる楽しみ」を書く!と思うことで、

つまり、そのフレーズが意識化されることで

ああそうなんだよ、齢をとるのはワクワクすることなんだよ!人生ってだからオモロイんだよ、

と、毎日心の中で思う機会を得られたのは有難いことでした。

 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



まず、レサンスが大切にしている価値観として、学生スタッフにも最初の採用面接で必ずお話しするのが、

「自分を成長させる」こと。

その大切さを子どもたちに伝えること。

そして何よりも、自分自身が日々成長していくこと。

 

 

子どもたちに関してはまた別に書くとして(書くのか?いや、いつかは!)

大切なのは、

大人が、

「人間は日々成長せねばならない」  
また、
「自分を磨き、成長させることは楽しい」 

と、思っているかどうか。

 


そう思っていない大人は意外に多いようで、

そういう人にはこれから書くことは全く理解されないかも……。

 


ま、別にいいですけどね。

万人に好かれようとは思っていないし、

自分を変えようという気持ちのない人は、

何年経ってもおんなじトコロでおんなじコトをぐちぐちぐちぐち、自分が変わる気がないから状況も変えることもできず、ただ周りへの不満を言っているだけでしょうから。

 

もちろん、

人生には、ものすごくつらい状況や時期があって、

呼吸をしているだけでやっと、とか、立っているだけで精一杯、ということもあります。

そういうときは、生きていてくれるだけでじゅうぶん。

お布団にくるまって、あったかいものを食べて、じっとしていたらいい。

 

 


でも、

そういう状況でないのであれば、

やはり、

人は日々更新されていかねばならないと思うのです。


たとえば、私は今36歳ですが、

20代の時と同じようなコトを言っていたらオソロシイでしょう。

逆に10年後、今と同じ発想しかできなければダメでしょう。

もちろん、変わらない部分・変わってはいけない部分もありますが、
そこに何らかの成長がなければ!!

 

 

 

さて。

自分を更新することは、自分を変えること、つまり、今までの自分を捨て去ることであります。

変化を恐れる人は、この、「自分を捨てる勇気が出ない」こととイコールであることが多い。

プライドが邪魔をしたり、

今まで築いてきたものがなくなってしまうかもしれないことへの不安とか、

自信を失いたくない、とか。

 

でも、

ほんとうの自信は、

そうやって自分を常にまっさらにして学んで獲得したところからしか生まれない。

守りに入った自信は、結局「固執」とか「過去の栄光」とかでしかない。

 


 

・・・・・・・と、思って日々生きていると、

人生がおもしろくて忙しいワケです。

 


いくらでも学ぶことがある。

いくらでも改善・改良すべき点がある(人間ができていないせいもありますが)。

新しい困難は、

新しい喜び。

 

 

 

・・・・・後編に続く。

 
posted by: L'essence | 雑感 | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |-
今日の想い
レサンスは塾屋ですから、
入試で結果を出すこと、各科目の成績を上げることが、もっとも大切なことなのですけれど。




この話、今はわからないだろうな〜、ということもたくさん言う。
でも、
30を過ぎて、わかってくれたらいいなぁ、と思っている。
そして、
思いがけず二十歳ぐらいでわかってくれたらうれしいなぁ、とも思う。
だから、
「今はわからなくても大切なこと」は、命をかけて伝えたいと思っている。そして伝えていく。
別に「私が」言ってたなんて思い出さなくてもいい。
その言葉・その内容だけが、彼や彼女の記憶の奥底に、ひっそりと沈んでいけばいい。


自分も、
「今はわからないけれど、真摯に生きた結果、40になったり50になったりおばあさんになったりしたら見える境地」があるんだろうなぁと楽しみにしている。




JUGEMテーマ:育児

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posted by: L'essence | 雑感 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |-