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怒涛の更新その2〜「勉強より大切なものがある」考〜
この記事では「勉強より大切なものがある」というフレーズについての私見を述べます。

「勉強より大切なものがある」という言葉そのものは、
まったくそのとおりだと思います。
何の異論もありません。

全く正しいからこそ、
この言葉を、
(とくに、塾という場で保護者の方に)

高らかに、
声に出して言われると、






・・・・・・・警戒します(笑)   ※ありがたいことにめったには言われませんし、最近も言われておりませんが。




まず、
ここでいう「勉強」とは、
「机に向かってする勉強」のことだと思います。

机に向かうだけでは学べないことがある。
たとえば、
自分で身の回りのことをする、家の手伝いをする、といった生活のことや、
ほかの人の気持ちや命を思いやること、といった心の面や、
実際に星を見たり、美術や音楽に触れたり、といった肌で感じる実体験。

そういったことも大切にしましょう、というほどの意味だと思っております。

その前提にあるのは、

「すべてが学びである」ということ。

人が心豊かに生きていくためには、机に向かうことも、それ以外のことからも、
いっぱい学んでいこう、どちらも大切であるよ、とそういうことです。

そして、
もし、この言葉を発するとするならば、
それは、

月を観察したこともないのに天体問題の解き方のコツを教えてもらおうとする、とか、
受験勉強はよくできるけど自分で身辺の用意ができません、とか、
習い事をいっぱいやっているけれど、大阪(に住んでいるのに)の隣に兵庫県があることを知りません、とか。
お母さんが目の前で泣いているのに平然と自分のテストのことばかり考えている、とか、

そういう人を諭す時であると思います。





でも、
高らかにこの言葉を言う人の多くは、
まず、「机に向かう勉強を否定」する意味で使います。

それから、
「努力放棄したい」ときに言われます。

だから警戒するのです。

たとえば。

みんなが覚えている英単語をなかなか覚えられない。
人の3倍も5倍も時間がかかる。
家族で遊びに行く時間や、くつろぐ時間が削られる。

→うちの子、勉強ばっかりしてる!!勉強より大切なものがあるのに!!

というように。

あるいは、
偏差値の高い学校に行く人はさぞガリ勉で、人間的に何かが欠落しているはず、と決めつける。


これらは、悲しい誤解です。


入塾時に説明させていただいておりますが、
同じ内容を習得するのに要する時間は、
実力が備わっていればいるほど、短くて済みます。

だから、
実力がまだついていなければ、同じ時間で習得できることは少ないのです。
みんなに追いつこうとすれば、頑張るしかありません。

それを頑張らない、ということは、「水準に達しなくていい」という意味になってしまいます。
また、
「努力しなくていい」というメッセージになってしまいます。

たとえば、
牘冀姥譴魍个┐蕕譴覆”ことを、どうせ英語なんて使うことないし〜と逃げたとしても、
それは、
牴燭を覚える練習”から逃げてしまうこと、犹間内に何らかの課題をクリアすること”
といった、
将来にわたって、生きていくうえで必要な訓練から逃げていることになります。



レサンスでは、
生徒さんは、
「勉強を通じて、生きていくうえで必要な力を身に着けていく」と、考えています。
そして、
実力がつけばつくほど、机に向かう勉強以外の色々なことにも見識が深まる、と考えています。


たとえば、
猴イ靴させち”でさえも。



悲しんでいる人を励ましたり、自分より小さい子に優しくしようという気持ちは、
3歳でも持っています。

その悲しみを深く理解するには、語彙力や論理的思考力が必要。
地理的、歴史的背景を理解することが、異文化の人を思いやる気持ちにつながる、というように。

牧場に連れて行かれても、「サイロ」という言葉を知らなければ、サイロを見たことにはならない。
港めぐりの船に乗っても「タンカー」「潜水艦」という言葉を知らなければ、「なんか船見た」で終わりです。


また、実力がついて何かを習得するのに短時間でできる、ということは、
同じ時間でそれだけ多くの分野に目を向けられる、ということになります。

だから、偏差値の高い学校には、
映画とか音楽とか、色々な分野に造詣の深い人が集まっているものなのですよね。
彼らは決してガリ勉集団ではありません。


このように、
レサンスでは、
犂に向かう勉強も、それ以外の学びも”大切にしてほしいと思っています。
バランスですね。


というわけで、
連休のお出かけ、何県にどんな経路で行ったのか、どこの駅で降りたのかとかどこのSAに寄ったかとか、
その県は地図のどこにあるかとか、訊きますよ〜☆(←小4ちゃんにはGW前に告知済み)
それがわかっていなければ、ドナドナされている牛さんと同じですからね♪



怒涛の更新その3は明日します。

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0) |-
大気汚染情報つづき

こちらのサイトをご紹介するのを失念しておりました。


大気汚染物質広域監視システム(そらまめ君)のページです。
http://soramame.taiki.go.jp/

お住まいの地域の様子はこちらのページがわかりやすいです。


JUGEMテーマ:日記・一般
 
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) |-
大気汚染
最近、中国からの、汚染物質が過去最悪レベルで飛来しています。
今日、明日もひどいようです。



エアロゾル・黄砂予測はこちら(画面の左に予測動画のボタンがあります)
    ↓
http://sprintars.riam.kyushu-u.ac.jp/forecastj.html


とか、
こちら
http://www-cfors.nies.go.jp/~cfors/so4_gpv.html  で。



しかも、
この季節だと大気汚染は中国のせいだと誤魔化せると踏んだのか、
大阪市は、2月1日より岩手県のがれきの焼却を開始するようです(MBSのニュースより)


北九州をはじめ、福井や三重で、次々と広域処理が中止になっているにもかかわらず
(大阪のためにわざわざ保管しているそうです)、
なぜか8億円もかけて燃やす気満々です。

試験焼却のときの大気汚染も明らかにひどかったですし、
こちらの大阪市会議員さんのツイッターによれば、
審議もじゅうぶんではないまま、はじまってしまう危険性が大きい。

http://twitter.com/taecom123


以上、
淡々と情報をご紹介しました。

また、
情報を集める中で、
このようなサイトを知りました。
大阪おかんの会ブログ






posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 23:58 | comments(1) | trackbacks(0) |-
平和について
今年も8月15日がやってきました。
我々が子どものころは、広島の日、長崎の日、終戦の日と、
それぞれすらすら言えるのが当たり前でしたが、
この平成の時代、

それが何年前のことだか、いつなのかも知らず、
“なんだか遠いむかし〜”と思っている子どもも増えてきました。

彼らにとっては、
“阪神・淡路大震災”も、“原爆”も、生まれる前のできごと、という意味で、
等しく遠い昔のできごとなのです。


戦争を知る世代がどんどん鬼籍に入られる今、
語り継ぐという仕事は、
“戦争を知る世代を知っている世代”つまり我々の任務であると考えています。



我々世代は、戦争で苦労された方々を間近に見、
話をきいてきたので、

戦争とは、
罪のない子どもが苦しみながら死んでしまうことであったり、
誰もが振り返るような美しい乙女の顔にひどいケロイドを残したり、ピアニストの腕を奪ったりしながらその後の人生を生きさせることであったり、
立派なお父さんがジャングルで餓死することであったり、
やさしいお母さんが黒焦げの死体になることである、
ということを知っています。



そして、そういうことが語り継がれてきました。

と、ここまでが前提で。




しかし今、思うのは、
それらの“語り継ぎ”だけでいいのか?ということです。
それらはもちろん必要なことです。その上で、あえて続けます。



上に述べた内容は、全て「戦争という事態になすすべがなかった無力な市民」「被害者」という視点です。
もちろん、
一市民にできることは限られていますが、

戦争という外交問題に、

「誰かが始めちゃったことに巻き込まれた」とか「どうしようもない」という受け身な視点しかもたないでいるのは、
とても危険なことだと思うのです。

中世ならともかく、
この民主主義の時代に、
誰もが一票を持っている時代に。
さらには、誰もが簡単に情報発信できる時代に。



「いつの間にか決まっているし〜」
「おれらにはどうしようもないし〜」

というような、当事者意識の欠如がどんな恐ろしい事態を招くことになるのか。



しかも、
現代の戦争は、基本的に民間人を攻撃しません。
そういう意味で、
戦争は、我々が刷り込まれた形〜空襲とか原爆とか〜でやってくるとはかぎらない。

「相手を支配下に置く」というのが侵略の目的ならば、
情報や資本や資源をコントロールするかたちで、
それはなされうるのです。
だとしたらもう始まっているかもしれない。

だから、
戦争のイメージを、ひたすら空襲や爆撃に置き換えるのは危険です。
それは、矮小化にすぎない。
その事態をを回避するのが平和ではありません。
内乱・無政府状態の国ならともかく、日本でその段階までくるのは、逆に、よっぽどのことなのです。




政治を監視することもなく、
戦争を、
“どこかの誰かが勝手に始めたモノ”と、被害者意識だけを持つことは、

平和を、
“天から与えられるもの”としか考えずにぼうっと過ごし、
そのくせ、
相手に要求ばかりすることとつながります。


平和は決して天から降ってくるものではなく、
獲得するものであり、維持することに努力を要するものです。


そういう意味で、
平和は幸せな家庭に似ています。

ぼうっと待っていて得られるものではないし、
自分が何もしないで、相手に要求ばかりするのは言語道断で、それでは維持できなくなるもの。
考え方の違う人間どうし、どうにか着地点を見つけて、折り合いをつけていくもの。



平和のこと、つまり政治経済歴史に関しても、
当事者意識を持ち、自分の頭で自分の問題としてしっかり考えることが大切。
いろいろな視点で〜つまり、自分にとって理解を超えた価値観の持ち主である相手の視点で〜ものごとを見ることも。


侵略しようとしている側にとって、アホほど御しやすいものはないのだから。

要するに、

「無知は罪!」
「だからしっかり勉強しなさい」ということが言いたいわけです。

平和を維持するために。
この国と世界をよりよくするために。



JUGEMテーマ:世界平和
 
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 11:26 | comments(0) | trackbacks(0) |-
この徳島県の回答がかっこよい
 徳島県のホームページ「目安箱」より。
ぜひお読みください。

とっても簡潔でわかりやすく、クールです。
全ての自治体がこのように考えてくれるといいのですが・・・。

http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652









 ↓ 下の広告・動画はレサンスとは関係がありません。
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) |-
もう、TVは要らない?

前回の記事から2週間以上が経ちました。
これを書いているころはまだはやぶさ君は飛んでいたんだなぁ、しみじみ。

その後、無事に帰ってきて、日本が盛り上がって、、、、
なんとたった3000万円にまで事業仕分けされていたJAXAの関連予算も、
なんとか増える方針になったらしく。


次の日の授業で話をして、和歌山大学の中継の映像もPCで生徒たちに見せたところ、
先週の面談では、お母様方から、

「先生がハマッていらしたと息子からききました」「熱く語っていらしたと・・・(以下略)」
ハハハ。

また、
「映像を見せてくださってありがとうございました」という声に続いて、
「家ではさほど話題にはなっていなかったので。。。。。」とも。

そうなんですよね。

だいたい、NHKで生中継がないってどういうことなんだ!!
直後の定時ニュースでもふれなかったし。

ネットでリアルタイムに盛り上がっていたのに比べると、
ものすごい温度差、時間差がありました。
そして、内容(質)の差も。

はやぶさに関しては、ネットの情報量がほんとうに充実していた。

そこで心底思ったことは、
もう、TVなんて不要だ、ということです。
こんなときにちっとも役に立たないし。
こんなニュースこそ子どもに伝えるべきなのに。


今にはじまったことではありませんが、
TVの質の低下と、それに伴う“情報格差”がはなはだしい。


基本的に、TVは「だれにでも」わかるように作られています。
そこで、
「見る人が見ればわかる丁寧に作りこまれた上質な作品」と、
「ま、こんなもんだろ〜」
という番組が、
混在しているわけです。

TVぐらいしか映像手段がなかったころはそれでよかった。
ところが、
TVでは物足りない層がネットに流れ、有料放送に流れ、
地上波には、
いわゆる「情報弱者」だけが残ってしまった。

そうすると、製作者はもう、地上波にリキを入れることはしなくなる。
「ま、こんなもんだろ〜」というより「バカにはこのぐらいでいいだろ」という流れに。
というより、
今や、制作者側も、
「バカでもわかるように、バカに合わせて作っている」と公言して憚らない。
これは、事実です。


スポーツ中継などもそうで、
地上波と、有料スポーツ専門チャンネルとは解説者が違うこともある。
地上波は芸能人が客寄せに(具体的に言うとF1なら近藤真彦とか)、
スポーツチャンネルは本当にその厳しい現場で活躍してきた人、
というふうに。

そして、
子どもたちにはそういう事実をちゃんと伝えたほうがいいと思うのです。
なぜかTVではちっとも放送しないニュースがあるとか、
どうでもいいことが新聞の一面になっていたら「何を隠したいのかなあ」と考えることとか。

もちろん、ネットが全てだとも思いません。
クリックさせるために、扇情的な見出しや、誤解を招く見出しもたくさんある。
そこから有益な情報を冷静に拾い上げる必要がある。

それらを「読み取る力」がないと、本当に危険です。
選挙に関する報道も同様ですね。

そういうことを含めて、話をしていく、ということが大事。

純真で、まだ見る目が育っていない中学生にとっては、
「大の大人が作ったものがウソだ」とか「くだらない」とかいうことは、にわかには信じがたい。
他人を否定することにもつながりますし。

しかし、もはやそれは事実なのだから、
どんどん伝えていかないと、
「単なる情報弱者」になってしまうし、「だまされる側」にもなってしまう。
そして、
「わかる人は下らないとわかった上で見ている」ということも伝えないと、
「自分が情報弱者であることすら気づかない」ことになりますし、
「批評精神」も育たない。



厳しいことを話すと、
生徒はショックを受けますが、
顔つきが変わります。
それが、成長ということであり、「賢くなる」ことだと思います。

「顔つき」って大事だなぁということは、
先日「豊中高校」などの説明会に続けて出席して、
しみじみ思ったことですが、それはまた別の記事にします。



JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) |-
はやぶさ

はやぶさが今日地球に帰還する!!

ということで、数日前からネットでちょこちょこ検索していました。
(タイミングが悪いのか、TVニュースでは全然見られていない。。。

淡々と見ていたつもりだったのですが、
今日、あらためてこのツイッターを読んでいたら、がらになく胸が熱くなってしまいました。

 http://twitter.com/Hayabusa_JAXA

今この瞬間も、粛々と、確実に、地球に向かって進んでいるはやぶさ。
2003年、レサンスが生まれる前年に地球を離れ、その間ずっと宇宙を旅していたはやぶさ。



今、色々な状況から、日本という国が岐路に立っていると感じています。
その危機感もあるせいか、

はやぶさは日本の誇り!と、愛国心も高まります。


こんなにも感動するのは、ツイッターにせよ、このサイトにせよ、

http://hayabusa.jaxa.jp/ 

技術者の方たちが、擬人化している、というのも大きいです。
(これ読んでても泣けてきた)


もし、マスコミが勝手に「物語化」して擬人化していたら私は徹底的に批判していたでしょう。
でも、
そうじゃない。

サルのコミュニティの研究で日本が大きな成果を上げたのは、
サルに固有名をつけ、顔を認識し、人間を理解するような気持ちでサルに向き合ったから。

はやぶさに関わる技術者の方も、
子どもを育てるように慈しみ、まごころをこめてきた。

「このミッションを完璧に遂行する」という決意と、
「なんとしてでもオマエを救い出してやる!」という決意では、
やはり何かが違う気がする。

草や石にまで神や魂が宿ると考える日本の文化なのだと思う。

それを含めてまでが「日本の技術」なのだと思う。




今日は感情的にならざるを得ない。
ま、こんな日も(記事も)たまにはあってはいいのではないかと思う次第です。

JUGEMテーマ:宇宙
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 17:38 | comments(1) | trackbacks(0) |-
資本主義と教育  「子どもの教育」と「ビジネス」の違い

ビジネスというのは、モノにしろサービスにしろ、「目に見える成果」を商品として売るわけです。
「数値化できるもの」が原則です。また、そのためには「短期で評価」 することになります。


ところが、人が育つということ、人格というものは、数値化できないもの、つまり、「コレ!」とばかりに何かの形でとりだすことが不可能なものの総体です。その形成も評価も、一年やそこらで決まるものではなく、非常に長いスパンのもの。



たとえば、「 品性」 。

お辞儀がきれいにできました、だから上品!! とはならない。

丁寧な言葉を話す、アホとか決して言わない イコール上品、とはならない。

 

一つ一つの項目をクリアしても、ダメな人はダメと言われてしまうし、

逆に、ざっくばらんな振る舞いでも品性を感じさせる人はいる。

 

なぜなら、品性というのは、一つの動作ではなく、

それらの総体であり、

滲み出てくるものだから。

 

教養も同じ。

あれを知っている、という一つの知識ではなく、

たくさんの知識や経験を積み重ねて、

ようやくじわっと、あるいはチラッと、そこはかとなく、表出するもの。

 

全くおんなじことをしているのに、

ある人は評価され、ある人は反感を買う、というのも世間ではよくあること。

 

 

だから、

これらが身についてるかどうかは、

車両点検や持ち物検査のように、チェックリストで判断できるものではないのです。

そして、一朝一夕で身につくものではない。

 

「 生き方」 もそう。

いくらイイコトを熱く語っても、行動が伴わなければ、ただの、口先野郎。

ロングスパンでじっくり形づくられていくもの。

そして、

「 育ち」 も。


 

たとえば偏差値とか、学歴とかは、

その人が「 このぐらいのことは持っています。知っています。できます」という最低限保証のようなもので、

 本当の勝負は、そこでは決まらない。

例えば北野高校に入ってから、京大に入ってから。

評価は、

「受験勉強以外のことをどれだけ知っているか」

「 どれだけ多くの抽斗を持っているか」

「 未知の事柄を前にして、どのように対応するか」

 

 

そういう、どのように育ってきたか、というような空気感は、

「 勉強だけ」 とか「泳ぎ方」 だけを教えてくれる塾や教室に“外部委託して習うこと”ではありません。

 

「 環境」 とか「周りの大人の接し方」 が重要になってくる訳で。

 

ぶっちゃけて言っちゃえば親御さんの責任大、ということです。

 

大手塾で問題を抱えて悩んでいらっしゃるご家庭は、

そこらへんのことを意外と忘れていらっしゃる方が多いように思います。
(問題の根はもっと深いところにあるのに、「算数の講座追加」とかで対応しようとするなど)

 

レサンスでは、ご存知のように、
ふるまい方、生活等にまで口を出すことも多々多々ありますが、
それは、大手塾での経験なども踏まえて、

「 勉強を教えるだけでその人の能力をアップさせる」のには限界があることを
痛いほど感じているから。

 

塾に通えば全てが解決できるわけではない。

教育(子どもに身につけさせておくべきこと)には、
目に見えない、一朝一夕で身につかない面があって、それが大変重要。

そして、その「数値化できない部分」 「 育ちや品性」の部分に関してはビジネスは弱い。
だから、ご家庭で、しっかり鍛える。


親御さんがその重要性を認識し、ロングスパンで気を配って、
そして、塾や教室とうまく役割分担ができていると、

習い事の教育効果も最大になるように思います。




JUGEMテーマ:子育て情報

 
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 23:16 | comments(2) | trackbacks(0) |-
資本主義と教育 その3
 
「お客様」のままでいるとだめなのはなぜか。



基本的に売り手は客にNOを言いません。
「おっしゃるとおりです」
「ご要望にお答えします」
「そのままの貴方でいてください」、としか。

つまり、
客というのは、心地よく肯定される立場なのです。
売り手が客に対して、
「それはおかしい」
とか
「マナーがなっていない」
とか
「あんた間違ってる」
とか
言うことはけっしてありません。
好ましくない客はやんわりと遠ざけることはあっても、
客に対して「改善」「成長」は求めないのです。

売り手は客に間違っている点を指摘することはありません。
教えてはくれません。

ところが、
育つ、という過程は、
日々改善することであり、
それは、“今までの自分を否定すること≒捨てること”を意味します。

自己否定することによって、新たなステージへ上がる。
そこでつかんだものこそ、確かな自己として肯定できるもの。

つまり、自分を肯定するためには、いったんは自己否定というプロセスが欠かせません。
そうやって、人は日々成長していくはずです。

「その言い方は感じ悪いからやめなさい」とか
「そんなにドンクサイのに車の免許とるの?怖いよ〜、乗りたくない(笑)」とか
遠慮の無い言い方をされることで、シュンとなることはあっても、
自分の相対的な位置を知ることができます。
「これじゃあだめなんだ」ということがわかります。


否定されない、ということは、
成長のチャンスを逃している、ということでもあるのです。

たとえば、ミュージシャンを目指す子どもたちに、音楽系専門学校が用意され、
中学生程度の学力しかなくても“大卒”の資格が欲しい人には入りやすい易しい大学が用意され、
「あなたもなれますよ、できますよ〜」と夢を見させて金をとる。


そして、恐ろしいのは、
そうやって散々ちやほやされて成人した子どもたちが、社会に出ようとすると、
手のひらを返したように拒絶される、ということ。

“お客様には文句は言いませんが、
「一緒に働く人間」としては、相応の実力を求めます。
ウチで働きたいだって?お話になりませんよ。”

基準を満たしていなければ当然の話なのですが、
それが当然だということを知らない子どもたちにしたら、
全く寝耳に水、ひどい!!と思うだけ。
でも、そうなったらもう取り返しがつかない。


そのような事実を教えてやれるのは、
親だけです。


JUGEMテーマ:子育て情報
posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) |-
きじゅん。その2。
前回は、基準はいろいろだ、という話をしました。
そこで今回は、“レサンスの基準”を書こうと思います。

レサンスが、
一番大事で、身につけてほしいと考えていることは、
「人の話をきちんと聞ける」こと、
あるいは、
「書いてある内容を理解できること」 。
そして、「自分でもそれをきちんと表現できること」 。
それが基本。
というよりむしろ、それさえできれば充分優秀だと思います。
全てはそこから始まるのであり、
でも、それさえできれば、どこでだって生きていけるのではないでしょうか。
意外と難しいですよ。


たとえば、レサンスでは、よく、学校でのできごとや習っている内容を生徒さんに話してもらうのですが、
単語でしか話せない人はいます。
そういう人も、少なくとも、きちんと話せるようになってほしい。
“賢い人”は、たとえ小学一年生であっても、
話題にもとづいて、要点をきちんととらえた文を組み立てて話せます。
それが、レサンスの“基準”です。
“単語を並べるだけ”状態を見過ごさず、きちんとした文で、話をさせる。

人は、わかっていないことは説明できないですからね。

(授業の内容の報告も、理解できている人の説明は詳しい。わかっていない人は、
「今日の理科は、天気をやった」 「雲の話だった」 で終わり。“話題”しかつかめておらず、内容がわかっていないから説明できないのです。)




ちなみに、教育業界に“七五三の法則”というコトバがあります。
これは、小学校で7割、中学校で5割、高校で3割の生徒が、
授業内容を理解できている、というものです。

言い換えれば、
小学校で3割の生徒がすでに学校の内容についていけておらず、
中学校では、クラスに存在する人間の半分は、授業が理解できてない、
ということです。

授業の内容がわかっていない人は、ずいぶん多いのです。
ですから、順位としては、“ウチの子真ん中ぐらい、フツウよ〜”というのは、
実は、“授業内容が理解できていないうちの一人”かもしれません


でも、それではあとあと困りますね。
“小学校で7割、中学校で5割、高校で3割”に入っていなければいけません。
下の学年のことがわからずして上の学年のことがわかることはありえませんので、
要するに、
“いつだって上位3割”に入っていないといけない、ということです。

つまり、たとえ、今は何の問題も感じていなかったとしても、
“周りのお子さんと比べて”同じような人がいっぱいいたとしても、
長期的な視野にたてば、危機感を持たねばならないことがあるわけです。

レサンスがときに“厳しい”ことを言うのはそのためです。

つづく


JUGEMテーマ:子育て情報


posted by: L'essence | 子どもたちの未来・この国の未来 | 02:42 | comments(0) | trackbacks(0) |-