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私が生徒さんにする話 その2  〜詩が生まれるとき〜

「その2」にしてタイトルから"必ず”が消えてしまいましたが。

 

言葉を大切に、と思うと、絶対に紹介したい詩があるのですけれど、

紹介するからには、子どもたちに、

「おお!」と思ってほしいのです。

ですから、●年生のこの時期に、と決めているのではなく、

いろいろな話をするなかで、

今!今だ!!この瞬間なら、この子たちがヴィヴィッドに反応してくれる!!という瞬間に紹介しているので、

ひょっとしたら、この詩ではなく、別の形で学んだ学年もいるかもしれませんので……。

 

 

ともあれ、

藤井貞和さんの詩のなんと素晴らしいこと。

そして、吉野弘さんの解説も、一切の無駄がなくて、しなやかな強さを秘めた美しさ。

 

塾講師として、子どもの心にかかわるものとして、また、カウンセラーとして、そして、

人とかかわる「人間」という存在として、

絶対に忘れてはいけない言葉の大切さ。

それを、これほど端的にあらわしてくれる詩と文章はないなあ、と思います。

 

出典とか細かいことは後で書きます。

とにかくお読みくださいませ。

 

 

 

 

あけがたには  藤井貞和

夜汽車のなかを風が吹いていました。
ふしぎな車内放送が風をつたって聞こえます。
……よこはまには、二十三時五十三分
とつかが、零時五分
おおふな、零時十二分
ふじさわは、零時十七分
つじどうに、零時二十一分
ちがさきへ、零時二十五分
ひらつかで、零時三十一分
おおいそを、零時三十五分
にのみやでは、零時四十一分
こうづちゃく、零時四十五分
かものみやが、零時四十九分
おだわらを、零時五十三分
………
ああ、この乗務車掌さんはわたしだ、日本語を
苦しんでいる、いや、日本語で苦しんでいる
日本語が、苦しんでいる
わたくしは目を抑えて小さくなっていました
あけがたには、なごやにつきます


 

 このすてきな詩に私は感心しました。同時に「詩の方法」ということも、この詩は実に端的に語っているなあと思ったのです。
 
 この詩に出てくる夜行列車は、時刻表で調べてみますと、東京発、二十三時二十五分の大垣行きで、小田原までは各駅に停車、小田原から浜松までは、熱海、三島、沼津、富士、静岡の五駅にのみ停車、浜松から終着の大垣までは再び各駅停車になっています。名古屋には、六時七分着、大垣着は六時五十九分。


――と書きながら、私は藤井さんの詩の書き方を意識していることに気づきます。つまり、前記のところは、例えば「名古屋には六時七分着、大垣には六時五十九分着」というふうに、同じいい方を繰り返してもいいところを、「大垣着は六時五十九分」と書いて、繰り返しを避けています。これは些細なことでしょうか。
 
 藤井さんの詩の中で、停車駅名と到着時刻を読み上げている乗務車掌さん。駅名の次に送る助詞を次々に変え、また、助詞を省いたり、××着、と言ったりしている車掌さん。彼の心配りを、夜行列車の乗客の何人が聞き分けるでしょう。
 
 余分な助詞など一切省いて、駅名と到着時刻だけを読み上げても、だれもそれを非難しないでしょう。なんのおちどもないからです。しかし、この車掌さんはささやかな言葉遣いで勝手に苦しんでいるのです。いや、楽しんでいるというほうが、かえって当たっているような気もします。深夜の各駅をいたわる心遣いのようにさえ思われます。あるいは、自分の仕事への励ましのようなものかもしれません。そして、この車掌さんは車内放送を、乗客のためにやっているのですが、実は、自分の言葉遣いへの好みのためにやっているのだと私は思います。
 
 言葉遣いをどのようにするかなどということは、だれかに要求されて考えることではありません。要するに、ものが最もいい状態にあるように言葉を生かすこと、生かしたいと努めること、それが「詩の方法」であり、文学の方法なのだと思います。

 

 

 

出典は、光村の古い教科書(中3)から。

豊中や吹田では使っていなくて、前の職場(某塾某教室)が閉鎖になったとき、廃棄品のなかから大切にもらってきたものですが、

調べてみると、

光村でも、

このすばらしい「詩が生まれるとき」というテクストが使われたのはたった4年!のようです。

なんということでしょう、もったいない!!

 

あけがたには、なごやにつきます

 

この1行に思わず涙ぐみそうになり、

吉野弘さんの、

 言葉遣いをどのようにするかなどということは、だれかに要求されて考えることではありません。要するに、ものが最もいい状態にあるように言葉を生かすこと、生かしたいと努めること、それが「詩の方法」であり、文学の方法なのだと思います。

 

これもまた、深くうなずくほかありません。

(ちなみにことばについてはわたくしも数年前こんな記事を書いております)

 

 

吉野弘さんのこの解説文は、

ほぼ同じ(漢字表記が若干ちがうぐらい)ものが、

岩波ジュニア新書「詩の楽しみ」で読むことができます。

 

 

 

JUGEMテーマ:言葉を育む子育て

posted by: L'essence | ことばの教育 | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |-
ことば

ご無沙汰しております。

書きたいことがたまっているような、
たくさんあるけれど、根っこは一つであるような……
そのようなことを日々考えております。

ぽつぽつと更新していきます。
よろしければまたおいでください。

      *

言い方を考えるのはいつも難しい。
たとえば3つほど前の記事も、
「上から目線であることを批判するつもりだけれど自分も上から目線になっちゃってる文章」だなーと思い、
ひそかに反省しておりました。
ほんとうに、ことばを選ぶのはむずかしい。

      *

一年ほど前には、こんなことがありました。

実家の猫がお空に帰り、
何かにつけ涙ぐんでいた昨秋の私。

当時3歳の息子が言いました。

「おかあさん、○○さん(猫の名)が死んでさびしい?
 ■■くん、さびしくなーい!!」


あまりに力強く言われてドキッとしましたが、
要は、おかあさんそんなに悲しまないで、元気出して、と言いたかったのを、
3歳の語彙でいうと、そのようになったようです。


ちょうどそのころ、我が家の車では、
徳永英明Vocalist2がよく鳴っていて、
息子はよく歌詞について質問していました。

たとえば3曲目(カバーアルバムです)ユーミンの「あの日に帰りたい」の「アドレス 扉に挟んで〜」のところだったら。

「ドアにはさむの?トイレのドア?お風呂場のドア?
 おゆび痛い?」などというように。


そのアルバムの中でも息子は、中島美嘉「雪の華」がお気に入りで、よくリピートをせがまれました。
とはいえ、当時の息子ではまだ語彙も少なく、聞き取りにくい部分も多かったのでしょう、
いわゆる爍奪瓮”のところで、
「なんて言っているの?どういうこと?」と問うてきました。

「んーとね、
 どんなに悲しくっても、一緒にいたら大丈夫ってことだよ」
と、かいつまんで説明したら、

息子は、「ドンナニカナシクテモイッショニイタラダイジョウブ、ドンナニカナシクテモイッショニイタラダイジョウブ……」
と、3回ほど早口で繰り返したその瞬間、
ハッとした顔をして、

私に向かって、
「どんなに悲しくても、一緒にいたら大丈夫!!」と、
伝えてきたのです。

ピコーンという音が聞こえたかと思ったほど、
「いい言葉見つけた!」という顔をしていました。
数日来ずっと、彼なりに私を励ますことばを探してくれていたのですね。


     *

人はなぜことばを学ばなければならないか、ということに対する一つの答えが、
ここにあると思います。

ことばの能力が少なければ、
感じ悪かったり、人を傷つけたりしてしまう危険性がそれだけ高くなる。

愛する人を力づけたいとき、少しでもぴったりの言葉を選びたいと思う、
相手のことを少しでもわかりたいと思う、
もちろん同じ人間ではないから、相手の気持ちを完全に理解するのは不可能だけれど、
少しでも寄り添いたいと願う、
そんな「愛」こそが、
ことばの出発点であるべきだと私は思います。



     *


実家のバラが咲き、
高い青空の季節がやってきました。

彼女がそのバラを抱いて、いいお天気の秋の空に昇っていってから、
もうすぐ一年です。

 

posted by: L'essence | ことばの教育 | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0) |-
逝去じゃないよ
ヒゲの殿下こと寛仁親王殿下がおかくれになりましたが、
各紙の見出しを見て驚きました。

どれもこれも「逝去」。


・・・・・・・・・・。




いや、「逝去」じゃないでしょ!そこらへんのおじさんではないのだから。

薨去」(こうきょ)です。



と、エラソーに言いましたが、
かく言う私メも、
「薨」の字が思い出せず、
「何やったっけ?あの蓋みたいな字」とか口走っていましたから(くさかんむりしか合ってない・・・・・)、
うーーん、ボケてきてるな。



やはり言葉は正しく使いたいものです。
というより、新聞では正しく使ってほしいです。
影響力の大きいマスコミが「みんなにわかりやすい限られた言葉で」ということを追求しすぎると、
日本語、つまり日本の文化がどんどん単純化して貧弱になります。


日常の語彙ではないけれど、
日常の語彙でないからと言って使うことを避けると、

「世の中には日常の語彙以外の語彙もある」ということがわからない人間になったり、
「この世の中は平易な言葉で説明可能なはずだ」と考え、
「俺がわからないのは相手の説明が悪いからだ」というような傲慢な人間が増えることにつながるように思います。


この仕事をしていると、
「平易な言葉でわかりやすく説明する」「単純化して見せる・理解させる」ことが欠かせないのですが
(それがメインのお仕事です)、
今の世の中は親切すぎて、
誰もが易化・単純化の方向に走りすぎて、
子どもたちが、



世の中はまだまだ自分の知らない世界がある!!
説明不可能な事柄がある!!


ということに気づかなかったり、
そう思うことへの抵抗感があったり(なかったことにして目を伏せシャットアウト)、
つまり、生きるうえでの困難への免疫力が育たない
ということになりやすいように思います。

やはり大人は、
チラッチラッと、
子どもたちがえ、何ソレ!?と思わせるようなことばを織り交ぜてお話したいものです。






JUGEMテーマ:つぶやき。
 
JUGEMテーマ:つぶやき。
posted by: L'essence | ことばの教育 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『スポ連』って言うな!!  
 
 久しぶりの更新になってしまいました。

さて、標記の件です。

「せんせー、スポ連の練習があるので、来週の。。。。。」と言われると、

「ん?スポ連って何?略さずに述べよ」と返してしまうレサンススタッフ一同
”意地悪ですいません”って思いながら、やめられません。

だって、正式名称が言えないんですもの。

「スポーツ連絡、ではないよね、連盟?連合?」と悩み、
じゃあ、どこの連合?豊中市の?大阪府の?問うと、
極めつけは、

「だって、学校の先生も“スポ連”としか言わない・・・・・・」

ですって。

イカンですよ。
略称ばっかりつかっていると、正式名称がわからなくなります。
ま、ここのところ「スポ連」って言っている生徒さんたちは皆、
日本語の基礎がしっかりできているメンバーなのでまぁいいっちゃあいいのですが、


今までの経験上、
著しい学力不足、国語力不足で個別指導で入塾される生徒さんは、
略語を多用しがちで、
しかも、正式名称を言えない、という傾向が多々ありました。

例としては、「バスケ」が何か言えなかったり。
転塾してきた生徒さんで、『割合』の授業で、「3パー」とか「5パー」とか得意げに言うので、
「パーって何?」って言ったら、答えられなかったり。
(じゃあ、パーミルはどうすんだよっ!)

何で?何でそんな簡単なことが??とびっくりされるかもしれませんが、
周りの大人が略語しか使ってなくて、
それしか耳にしたことがなければ、
正式名称がわからないのは当たり前です。

大人は、正式名称を知っている、だから、省略できる。
ところが、
まだその語彙を身につけていない段階で、それをやってしまうと、そっちしか覚えないんです。
短いほうが楽ですし。

だから、大人が、意識して、きちんと喋らなければならないのです。
保護者の方がそこを意識していらっしゃるご家庭は、
やはり、お子さんのことばもきちんとしていると感じます。
逆もしかりです。


さて、“略語がきらい”の理由として、
非常にシンプルに、“上品でない・美しくない”というのも大きい。

単純明快。ダメなものはダメ。

では、なぜ“略語は下品”と感じるのか。
これは、コミュニケーション能力・イジメ問題などと根っこがつながってきます。

どうつながっていくか、は長文になりそうなので、次回に続けたいと思います。

ではまた。


JUGEMテーマ:子育て情報

posted by: L'essence | ことばの教育 | 11:47 | comments(2) | trackbacks(0) |-
蒸しますね。
今も雨がぽつぽつと・・・・。


とつぜんですが、私はこの「」という字が好きです。
いや、じめじめべとべと・・・が好きなのではなくて、

漢字としてすばらしい!!



まず、下の部首・れんが(れっか)は、燃えている火をあらわします。
真ん中は、水ですね。
火と水のあいだが横棒で仕切られていて・・・・・鍋ですね。

 
             


こういうことですね。
うーん。理想的な絵文字がなくてうまくあらわせてない気がしますが・・・・。

授業で、絵を描きながら説明すると、
子どもたちの頭の中には、
蒸しプリンだのシュウマイだのがいっぱい浮かんで(空腹だとツライ)、
みんな、漢字ってすごい!!という顔をして、
漢字大好きになるんです。

だから、私はこの「蒸」という字が好きです。
フタをぱかっと開けて、もうもうと立ちのぼる湯気の中からあらわれる、
小龍包も大好きです







JUGEMテーマ:子育て情報
 
posted by: L'essence | ことばの教育 | 11:29 | comments(6) | trackbacks(0) |-
よんどころない事情で・・・・
 先日、ふと思いついて、中学生に使ってみました。

よんどころない事情で、理科のプリントだけ紙の大きさが違ってしまいました。ごめんなさい」と。
(別に本当に“よんどころない事情”というわけでもなかったんですけどね)

そうすると、予想通り、
「え、ええ????“よんどころない”って何ですか?????」と。


熟語(漢語)は、漢字の課題が学校でも塾でも出るし、
漢検もあるし、
漢字パズルなんかも豊富に出回ってますが、
無数の、『和語』に関しては、
触れる機会がなかなかないんですよね。

しかも、よりによって、『よんどころない』なんて、子どもは使いませんし。
問題集にも出てきません。“受験”的には、知らなくてもいい単語です。
しかし、
「耳にしたことがある」もしくは「目にしたことがある」状態にしておくにこしたことはない。

ということで、少々無理やり(笑)使ってみました。



前述のように、和語は、漢字より演習量は少なくなりがちですし、
普段の大人との会話で得る部分が大きい。

つまり、ご家庭の力によるところが大きいということです。

というわけで、ちょっと意識して、無理やりでも使ってみてください。
まずは、形容詞から。

基本単語は「よい」「悪い」に、「嬉しい」「楽しい」「悲しい」、
「優しい」「おとなしい」「怖い」など。
これらは子どももよく使うので、あえてそれらは避けて

「奥ゆかしい人だね」とか、
「どうしたの、そんないかめしい顔をして」とか。
「おどろおどろしい音楽だねえ」
「はかないねぇ・・・」とか。

ことばを楽しもう!!


JUGEMテーマ:
中学受験


JUGEMテーマ:子育て情報
posted by: L'essence | ことばの教育 | 12:34 | comments(0) | trackbacks(0) |-
低学年の国語あそび

小2男子に「またアレやりたい〜」とよく言われる、
好評だった国語のゲームを紹介します。


それは、一つの文に“かざりことば(修飾語)”を次々と加えていく、というもの。

しかも、前の人の言ったことを復唱しながら付け加えるので、それをよく聴いておかなければなりません。

 

例えば、

「ぼくは鉛筆を買う」がスタートとすると、


  ↓


1人目「ぼくは、文房具やさんで鉛筆を買う」


  ↓


2
人目「ぼくは、文房具屋さんで三本百円の鉛筆を買う」


  ↓


3
人目「おこづかいをもらったぼくは、文房具屋さんで三本百円の鉛筆を買う」

 

というふうに。

 

「おじいちゃんからおこづかいをたくさんもらったぼくは、学校の近所のちょっと古い文房具やさんで、お父さんと妹と一緒に、三本百円の青いミツビシの鉛筆を、かごいっぱいに、スキップしながら買う」などなど無限に増えていきます。

 

人の言うことをよ〜くきいて覚えないといけないので、ハラハラドキドキ、楽しいようです。



 

実はこのゲームには、大事なことがたくさん含まれています。

 

まず、常に“主語と述語”つまり“文の構造”を意識し続ける、ということ。

どんなに長くなっても、主語と述語がけっして変わらないので、見失いません。そして、

修飾するとはどういうことか、という概念も身につきます。

 

しかし、このゲームは文法的なことだけが目的なのではありません。

集中して人の話を聞き、覚えること。


前の人の言葉をそっくり言うことで、自然とそれができるようになっています。

また、長い文の全体をとらえる、これが非常に大事なことです。

そうでなければ、

単語でしか聞き取れない・読み取れない人間になってしまう訳で。

 

小4あたりから、算数ができないのは、

算数ができないのではなく

実は問題の意味が読み取れない、つまり国語の問題、というケースが出てきます。

 

たとえば、ベン図などの問題文で

「問題1はできたが問題2ができなかった人は何人いますか」などと書いてあると、

単純に「問題2ができなかった人」を求めてしまうわけです。

長い修飾語がとれなかったり、
主語と述語を見失ったり。

 

そういうわけで、

このゲームが好きな子は、

人の話がしっかり聞けて、文をきちんと読める子になれます。

 

 

さて。

主語・述語・修飾語をマスターした彼らは、接続語の勉強に入っています。

先日は、並立や添加の接続詞を使った文を考えました。

 

【Ver.1】


おもちゃを買ってもらった。

また

本も買ってもらった。

そのうえ

レストランで食事をした。  (想像してどんどん嬉しそうになる)
さらに

温泉にも行った(かなりテンション↑)。


しかも・・・・





百円もらったぁ!!(満面の笑顔で)




 ・・・・・それはオチやがな。

【Ver.2】


おもちゃを買ってもらった。

そのうえ

温泉にも行った。(立ち上がりそうな勢い)

さらに

ハワイにも行った。(ほとんど踊ってる)

しかも・・・・





百円もらったぁ!! (最高の笑顔で叫ぶ)

 

・・・・・それはオチやがな。

と、大人は思ってしまいますが、おもちゃや温泉やハワイより、
百円のほうが彼らにはリアリティのある金額なのでしょうね。可愛いな♪

 

 

 

 

 

 


JUGEMテーマ:子育て情報

 
posted by: L'essence | ことばの教育 | 12:36 | comments(6) | trackbacks(0) |-
早期英語教育の前に忘れてはいけないこと その1
何よりもまず、「母語である日本語がきちんと話せる」ことが重要です。
話す内容がなければ、英語でもやっぱり話せないのです。
内気な人が、英語を話すときだけ人懐っこくなるなんてありえない。
日本語で要約ができない人が、英語だけパラグラフリーディングを完璧に行う、というのもありえない。
(英語でパラグラフリーディングの練習をきちっとすることで、現代文によい影響を及ぼすことはありますが、いずれにしても相関関係にあるということです。)


まず、家庭内のコミュニケーションはきちんととれていますか。
喧嘩でもいいですから。
「これ・・・(プリントを差し出しながら)」など指示語だけ、
「お母さん、ゴハン!」などのおそろしい一語ないし二語文(お母さんはゴハンではありません)だけ、

では、ダメです。

確かに、突然鼻血が出てきたら、
「うぉ〜ティッシュティッシュ!!」
「はいはい〜」
という会話になりやすい。

でもね、
「うぉ〜お母さんティシュ!!」
「え、お母さんはティッシュじゃないけど?」
「水をこぼしたからティッシュ取って!」
「水をふくのにティッシュはもったいないから、そこの布巾で拭きなさい」
という会話をたくさんするのと、
どちらが語彙力・そして論理力がつくでしょうか。
日々の会話の積み重ねた人が、国語力を構築できます。

話せなければ、読めないし、書けない。
逆に、話せる文は、読めるし書けます。

さぁ、今日も私たちは生徒にイジワルをします。
「先生、下敷き・・・」
「え、下敷きがどうしたんですか?」
「下敷きを忘れました」
「そうですか」
「・・・下敷きを忘れたから貸してください」
「はいどうぞ(にっこり)」
posted by: L'essence | ことばの教育 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(1) |-